「書」をアートと捉え、古代文字をモチーフに世界を舞台にパフォーマンスを行なう書道アーティスト・Maaya Wakasugiさん。Maayaさんはこれまで2回にわたりモリウミアスで書道ワークショップを主催し、こどもたちとともに筆による大きな1本の「桜の木」を完成させました。その作品は今、モリウミアスの食堂に飾られています。「アートは生きる道であり、闘い」と語るMaayaさんに、モリウミアスの担う役割や、「書道」を通してこどもたちに伝えたいことなどを伺いました。

震災を機に書道と向き合う

――まずMaayaさんご自身のことを少し聞かせてください。現在フランスのボルドーに拠点を移されて4年目だそうですが、なぜボルドーに。

少し遡りますが、転機になったのは東日本大震災です。書道自体は6歳で始めてずっと続けてきましたが、社会人になってからは副業としての位置付けだったので、芸術家として書道一本でやっていくなんて考えていませんでした。それでも仕事の傍ら、定期的に書道の個展は続けていたんです。震災でものすごい揺れを感じて思ったことは、「このまま死ねない!」ということでした。「もし明日死ぬなら何がしたいだろう?」と自分に問いかけた時に、書道だと確信しました。

その後親友が住んでいたこともありパリのギャラリーにポートフォリオを持って行ったのですが、セーヌ川沿いを歩いていた時にふと、「人生の最後がフランスでもいいかも」とひらめいたんです。ボルドーに住んだのは、僕の知人や友人がすすめてくれたからです。

――ボルドーでの活動はいかがですか?

最初はWi-Fiは繋がらない、英語も通じない、孤独。正直、なんでこんな所に来たんだろうって……。とてもネガティブになって「闇」という文字をひたすら描き続けていました(笑)。でも徐々に友人ができ、作品が少しずつ売れ、暮らすうちにフランス人のアートに対する感覚なども知り、今は毎日が肥やしになる日々です。ボルドーに住んだおかげで世界中でパフォーマンスをする機会も増えましたので、結果的には自分に負荷をかけてよかったと思います。

故郷での忘れられない自然体験

――そもそもMaayaさんが書道を始めたのは6歳の頃なんですね。

幼稚園に通っていた頃、母に習わされていたエレクトーンが嫌でたまらなくて。それで幼稚園を卒業する時に、「これからは書道がやりたい」と母に宣言したんです。というのも、当時近所の書道教室の窓に貼られていた生徒さんの作品に花まるがついているのを見て、「僕もあの花まるがほしい!」と思ったのがきっかけで(笑)。

――そうだったのですね(笑)!どんなこども時代でしたか?

僕の父は高校時代に甲子園のピッチャーで、社会人になってからも野球を続けていた関係で、僕にも野球をさせたかったようです。でも僕は気づいた時には人形遊びが好きで、人と違うことは幼稚園の時から自分で気づいていました。今みたいにゲイをオープンにして受け入れられる世の中ではなかったので、当時はゲイであることを隠していました。親の思う通りに生きられなかったという思いが今もあるので、NHKの大河ドラマの題字の仕事が決まった時、父が泣いて喜んでくれたことはとても嬉しかったです。

一方で、僕は岡山生まれ東京育ちなのですが、岡山での自然体験も強く印象に残っています。毎年夏は岡山の祖父母の家に1ヵ月ほど滞在して色々な遊びをしました。祖父がつくってくれた網で魚を捕ったり、その魚を祖母がその日のうちにさばいて食べさせてくれたり、虫捕りに行けば木に10匹くらいセミがとまっていて驚きました。幼い頃に味わった経験は、いくつになっても忘れないものですね。僕の生まれ故郷は岡山の中でも瀬戸内海に面した町なので、2年前にモリウミアスのワークショップで行った雄勝町の景色を見た時に、どこか懐かしく感じたのを覚えています。

モリウミアスは自然と多様性を兼ね備えたフィールド

――モリウミアスでの書道ワークショップのことを聞かせてください。

モリウミアスでは2016年に2度ワークショップを行ないました。今ボルドーでも小・中学生に書道を教えていますし、これまでも福島県いわき市の養護学校で書道を通じて生徒と触れ合うなど、こどもと触れ合うことが好きなんです。だからモリウミアスで初めてワークショップを行なうことになった時にも、僕からこどもと一緒に何かつくりたいと提案しました。

その時は大きな紙に描いた桜の木を花で満開にしようと、「笑」という文字を桜の花に見立てて、こどもたちに筆でたくさんの「笑」を描いてもらいました。こどもと一緒にやるなら希望にあふれるものをつくりたかったですし、やっぱり「闇」ではなく、「生きる喜び」をこれからも描き続けたいので。ちなみに、「咲」と「笑」の漢字は語源も一緒なんです。

――こどもたちと触れ合ってみていかがでしたか?

ワークショップでは筆ではなく固形墨でそのまま描く子もいれば、筆がバサバサになるまで書く子もいて、とにかく大胆だなと。でも今思えば、僕も17歳で初めて個展を開いた時には墨で描いた作品もありましたし、髪の毛に墨汁をつけて描いて部屋に入ってきた母を仰天させたこともありました(笑)。大人になるとどうしても常識で物事を考えがちですが、芸術は本来自由であるべきだと、こどもたちを見ていて改めて気付かされました。

――モリウミアスに初めて行かれた時はどう思いましたか?

森と海とセットで体験できる上に、さらに海外から来たインターンやアーティストがいてこどもたちと触れ合っている。その多様性にとても惹かれました。日本はとても好きな国ですが、インターナショナルかといえばまだまだそうではないと、海外に長く住んでみて感じます。

最近は田舎のないこどもたちもたくさんいると思いますが、特に田舎がないこどもはぜひモリウミアスに行って、その自然や場の雰囲気を体感してほしいと思います。幼少期って特に吸収率が高いと思うので、こどもたちそれぞれに色々なことを感じるはずです。でも反対に、モリウミアスは大人にも行ってほしい場所の一つですね。

書道を通してこどもたちに「ひらめき」や「きっかけ」を

――Maayaさんにとって、作品を生み出す原動力はどこから湧いてくるのでしょうか。

僕は経験したことじゃないと表現できないので、記憶に残る体験がインスピレーションのストックです。モリウミアスに初めて行った時に、夜に鹿の鳴き声を聞いたんですね。超音波みたいな鳴き声で、今も思い出すだけで鳥肌が立つくらい麗しく神秘的でした。「麗」の漢字は、下に「鹿」という文字があります。僕の表現方法の一つである古代文字で「鹿」は、鹿が2匹揃ったビジュアルで表現するのですが、見た目も可愛いんです。「美しさ」をどう表現しようかなと考えた時に、例えばモリウミアスの鹿が頭に浮かんでくる。そんな風に、記憶のストックが溢れ出してくるんです。

――なるほど。こどもと触れ合うことも多い中でこどもたちからも様々なインスピレーションを得ていると思いますが、Maayaさんが書道を通してこどもたちに伝えたいことはどんなことですか?

僕の高校時代の師匠に、世界的な書道家の赤塚暁月先生がいます。書道の世界ではお手本通りに書くことが良しとされる伝統があり、現に小学生の頃からそう教わってきたのですが、赤塚先生は「若杉くん、好きな文字を書いてきていいよ」と、自由に創作することを尊重してくださる方でした。それまでお手本通りにと教わってきたので、先生のその言葉は衝撃でしたし、僕が書道をアートとして自由に表現するきっかけになったのは言うまでもありません。

僕はこどもたちに何かを教え伝えるというより、どちらかというと共同作業のような感覚で接しています。赤塚先生が僕にきっかけや気付きをくれたように、僕のワークショップで何かがひらめいたり、その子の未来にとって必要なきっかけみたいなものが生まれる場になればといつも思っています。

――未来を担うこどもたちにとって、モリウミアスが果たす役割は何だと思いますか?

多感な時期に体験した楽しかった記憶は、大人になっても忘れません。例えば森の静けさや雄勝湾からの潮の香り、畑の土の暖かさや木造校舎の廊下を歩いた時の肌ざわり、そして交わる多種多様な人間模様……。

僕がモリウミアスで体感した数日間の学びの記憶は、まさに「親戚の家のような安心できる不思議な場所」であり、いつでも帰ってこられる心の故郷のような場所です。きっとこどもたちにとっても、その感覚は同じだと思うんです。そんな包容力が、モリウミアスの役割のように思います。だからこそ、この先もモリウミアスを通じてこどもたちとの触れ合いを繋いでいけたら嬉しいですね。

――最後に、Maayaさんにとってアートとは?

「生きる道」であり、「闘い」でしょうか。守りに入るのではなく、攻めていきたいと思っています。僕は古代文字を作品のモチーフにすることが多く、17歳で初めて個展を開いた時からそれは変わっていません。可愛らしいビジュアルに惹かれたのもありますが、言葉が通じない、漢字が読めない国の人でも古代文字なら伝わるんじゃないか。17歳の時にそう感じたんです。ゆくゆくは誰が見ても「Maayaの作品だ」とわかってもらえるものを生み出していきたいので、そのためのステップとして現在色(絵画)の勉強もしています。書道は一度限りの余白の美なので重ねること(二度書き)はしませんが、絵画は色を重ねることで美を追求するものでもあるので。アートって奥深いなと感じます。

結局は物事って、頭で考えるより体感しないとダメですね。海の外に出てみるとか、とりあえず手を動かしてやってみるとか。だから僕は、アクションすることには常に勇敢であり続けたいと思っています!

Maaya Wakasugi
書道アーティスト
1977年 岡山県生まれ。EU芸術協会国際芸術優秀作家の赤塚暁月、日展会員の田中節山に師事。6歳より書道を始め、17歳で個展開催。書の名門・大東文化大学 中国文学科を卒業。 “古代文字” をモチーフとした独自のスタイルを確立。書をアートとしてとらえ、 これまでルーブル美術館公認の関連ロゴマーク制作や、ニューヨーク近代美術館MoMAでのパフォーマンスなど、様々な場所で表現してきた。2016年1月、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)Japan Nightにて創設者兼会長のクラウス・シュワブ氏と書き初め。2017年にはNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の題字揮毫。フランスの国鉄SNCFのプロモーションビデオにも抜擢される。京都国立博物館で開催された国際人権NGO HUMAN RIGHTS WATCHのCouncil Summit 2017 Kyotoにてパフォーマンス。モロッコの美術基金MAC A Fondationのアーティストレジデンスにて現代書道のシンポジウムに参加。また、国際会議UHC2030フォーラムで揮毫した作品はジュネーブのWHOに寄贈された。現在、フランス・ボルドーを拠点としてグローバルに活動している。
http://www.maayamaaya.com