「全ての子ども達に学ぶ場を。」そんな言葉を掲げ、経済的に苦しい家庭のこどもたちの学習支援に取り組むNPO法人キッズドア。理事長の渡辺由美子さんが、日本と英国で子育てする中で感じた「環境による格差」への課題を解決するために生まれました。モリウミアスには4年前から、高校受験に合格したこどもたちを連れて来るようになりました。キッズドア設立に至った理由から、こどもたちに起きた変化まで。朗らかな笑顔で熱く語る渡辺さんから、こどもたちの未来への強い思いを感じる取材となりました。
まったく見えていない現実があった
――キッズドアを立ち上げる前は、百貨店や出版社で働かれていたんですよね。
そうです。やればやるだけ成果が出るので楽しくて、とても充実していました。だから余計に、こどもを産んで社会から切り離される感覚に苦しみました。周りのママたちもみんな辛そうなのに、私がそれまでいたビジネスの世界からはその課題が見えてもいなかった。家庭と社会を繋げたいと思うようになりました。
そして、もう一つ驚いたのが、子育てってすごくお金がかかるんだということ。学校の持ち物や習い事などにお金がかかって大変だなと思っていたところで、夫の仕事の都合で一年間イギリスに行くことになったんです。
――あちらの生活で印象的だったのは、どんなことでしょう。
対照的に、イギリスでは子育てへのお金がかからないことに驚きましたね。5歳の息子は公立小学校に通うことになったんですが、必要な物を聞きに行くと「できるだけ物を買わないように」と言われました。日本ではランドセルや筆記用具など、たくさんの物を揃える時期です。びっくりして聞くと、どうやら寄付のような形で保護者や地域から物が集まる仕組みがあるようでした。色鉛筆やクレヨンから、工作で使うような余った毛糸なんかまで。
学校教育を受けるにあたっては、家庭にお金があるなしで差が出ないようになっている。そんな「社会全体でこどもを育てる」仕組みが、素晴らしいなと思いました。
だからこそ帰国後は、社会から孤立している親子の存在が気になって。クラスで居場所がないような、ちょっと気になる子がいると、息子に「今度遊びに連れてくれば」って声をかけさせるようになりました。
――こどもたちの居場所になっていったんですね。
ゲームがたくさんある家だったからか、いろいろな子が集まるようになりましたね。そうやって遊びに来る子たちの中に、乱暴だと噂の子がいました。周りからは「お母さんは学校にいつも顔を出さないから、きっと放任主義なんだろう」と言われていて、友達の家に遊びに行くとなかなか帰らないその子は、少し煙たがられるような存在でした。
でも話をよくよく聞いてみると、どうやら両親の離婚でお母さんは息子を育てるために朝晩ずっと仕事をしている、と。家に誰もいないから、帰りたくないわけですよ。お母さんもがんばっているし、こどもは全然悪くないんだ、と。
そういう子って、気にかけてあげるようになると乱暴しなくなるんです。そうすると、周りの人は「渡辺さんちの子と遊ぶようになったら落ち着いた。すごいね」って言うんですよ。本当はうちの子がすごいわけじゃなくて、周りに居場所がないことが問題。けれど、見えていない。苦しい家庭環境や困っているこどもたちに対する視点がないと感じました。
――どうして渡辺さんは、こどもたちに寄り添うことができたんでしょうか。
私自身や息子がイギリスで苦労したとき、あちらでたくさんの人に助けてもらったっていうのもあると思います。あとは、父親が工務店を営んでいたんですが、小さい頃から常にいろんな人を受け入れる家だったんですね。不良の道に走りそうな子がいたら住み込みで弟子として育てたり、近所で困っている人がいると家に招き入れたり。「できる人がやってあげればいいんだよ」と言っていた父の姿を見て育ったのも、影響しているかもしれないですね。
必要なのは、ただ学力を上げる場所じゃない
――そこから、どのようにキッズドアの活動に繋がっていったのですか?
家に遊びに来るこどもたちを夏休みに博物館に連れていったときの、楽しそうな姿が忘れられなくて。家庭環境に関わらず、さまざまな体験ができる機会を作ろうと思い、落語体験や映画監督のトークショーなどを無料で開催しました。でも、私が来てほしいと思っていたような家庭の子は、まったく来なかったんです。
――どうしてですか?
そもそも情報が届かない。当時の貧困家庭にはスマホもコンピューターもありません。さらに、そういう家は親子で出かけるだけでもハードルが高いんですね。交通費や外食費が少しかかってしまうだけで大変。彼らを呼ぶのではなく、こちらからこどもたちのほうへ行くことが重要なんだと気付きました。
そのような家庭のこどもたちが多くいたのが、学童保育でした。大学生を連れていって勉強を教え始めると、それが夕刊に小さく載ったんですね。そうしたら、もう電話が鳴り止まない。30件ほどの電話すべてが、シングルマザー家庭からでした。「塾に通わせることができず、高校進学が難しい。勉強を教えてほしい」と。それが、高校受験に向けた学習支援「タダゼミ」という事業に繋がりました。
――タダゼミを始めてみて、どうだったのでしょうか。
貧困家庭のこどもを支援するとき、最初はどうしても勉強や食事、居場所などの経済資本が必要になります。でも、タダゼミを通して、それ以外にも必要なことがわかってきたんです。
例えば、多くの人と出合い、関係を作っていく機会です。シングルマザーの場合、お母さんは生活のために仕事で疲れ切っている場合が多い。そういう姿を見ていると、こどもは働くということに対して、どうしてもポジティブになれないんです。ここに来る子は「大人になりたくない」とか言うんですよ。
だから、学習会で大学生や社会人に出会うのは、とても大切だと考えています。会社で働いている人と初めて話す子もいて、そこでようやく「働くイメージ」が湧いてくる。ロールモデルの幅が広がってモチベーションが上がると、学力も上がります。
――勉強を教えることだけが重要ではないんですね。
他にも、いろいろな体験活動や文化を知る機会を作ることが、学力にも繋がっていることがわかってきました。やっぱり「こどもと社会を繋ぐ」ことが重要だったんです。
こどもたちを変えたのは、卒業旅行で見えた「新しい世界」
――モリウミアスにこどもたちを連れてくるようになったのも、体験活動の一環なんでしょうか。
実は、高校に送り出した子たちから、中退者が続出したのがきっかけなんです。
春から晴れて高校に通うようになった子たちのことを、秋頃になって「あの子が辞めたらしい」とか「あの子も辞めそう」と聞くようになりました。後追い調査をしてみると、19人進学したうち、半年間ですでに4人が辞めていて、さらに5人ほどが「このままだと厳しい」と肩を叩かれている状態。
高校に入れても、赤点になってしまうと自分ではどうしたらいいかわからない。先生も親も引き止めてくれないので、そのまま辞めちゃう子が多いんです。結局、その学年は4割が中退しました。
せっかく一生懸命勉強して受かったのに、これじゃあ意味がない。なんとかしなきゃって思いついたのが、高校受験に合格したメンバーで行く卒業旅行でした。
――どうして、卒業旅行だったんですか?
中学校までは、みんな学習会で顔を合わせて「受験がんばろう!」という結束力があるんですけど、高校ではバラバラになります。知らない友達や先生に囲まれた孤立感の中でも、一緒にがんばろうと思える仲間の結束を強めたいと考えました。
――効果は、ありましたか?
すごいです。本当に辞めなくなって、その年の中退者はたった一人だけ。
貧困家庭のこどもの特徴として、「がんばらない」というのがあります。家でも学校でも「できるはずだ、がんばれ」って言ってもらった経験がないんですよね。でも、モリウミアスで「ここに畑を作ってください」と言われて、みんな最後までやり遂げた。顔が変わりましたね。
そして共同体験で結束力が強まると、高校生活で苦しいことがあっても「みんながんばっているのに、辞めたくない」という思いが出てくるようでした。辞めたくないと思えば、ちゃんと「わからないから教えてくれ」って聞きに来るんです。
あと、この卒業旅行が皆様からの寄付で行われていることも、こどもたちにとっては「自分たちはそういうふうにしてもらえる価値のある人間なんだ」って思えるんだと思います。お金がなく勉強もできない、ダメだと思っていたけれど、それに気づくことで自己肯定感が上がる。それも中退者が減った理由だと思いますね。
――キッズドアに通うこどもたちにとって、モリウミアスはどんな場所だったんでしょう。
参加した子が「お金がなくてもできる生き方ってあるんですかね」って言ったんです。
東京では「お金がないとダメだ」と言われ、苦労してきたこどもたち。いくら「好きな生き方を選んでいい」と言っても、バリエーションがなく、いい大学に入っていい会社に就職して、という道しかないと思っている子が多いです。
でもモリウミアスには、お米や野菜を育てたり魚を獲ってきたり、お金がなくても自立して生きていける「新しい世界」が広がっていた。お金がすべてではない価値観で生き方を選んできた人たちとの出会いは、こどもたちにとって新鮮だったんだと思います。
キッズドアで学習指導をするのは、いい学校に進んでほしいからじゃないんです。こどもたちに、自分で未来を選択していけるようになってほしい。それが、やっぱり一番幸せなことだと思うんですよね。
――そんな未来を選ぶこどもたちのために、大人ができることって何なのでしょうか。
こどもの力を信じて、応援してあげることが重要ですよね。こどもって、がんばれって応援してあげたら、みんなちゃんと考えるし決断するし行動します。大人は「きみなら、できるよ」って応援して支えてあげるだけでいいんです。
次は、学校を作ってみたいですね。こどもたちが育つ環境の大部分を占めているのに、居心地が良くないと感じている子がすごく多い。学習会に来る子も、いじめられたり不登校の経験がある子が多いです。どんな環境のこどもでも、行きたいと思えるような学校を作ってみたいと思っています。
渡辺由美子(わたなべゆみこ)
千葉大学工学部出身。大手百貨店、出版社を経て、フリーランスのマーケティングプランナーとして活躍。2007年任意団体キッズドアを立ち上げ、2009年NPO法人化。日本の全てのこどもが夢と希望を持てる社会を目指し、活動を広げている。2018年、著書『子どもの貧困』(水曜社)を上梓。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員。厚生労働省社会保障審議会・生活困窮者自立支援及び生活保護部会委員。全国子どもの貧困学習支援団体協議会副代表幹事。