ソニー株式会社の厚木テクノロジーセンターで、エンジニアとして大型ディスプレイの研究開発に携わる平井基介さん。ご自身が東日本大震災を経験したことがきっかけでモリウミアスと出合い、会社の有志からなるボランティアバスのリーダーとして、これまでに7回モリウミアスへのボランティアバスツアーを企画しました。昨年からはモリウミアススペシャリストとして、夏休みのサイエンスプログラムにも参加。エンジニアであり2児の父でもある平井さんに、モリウミアスに関わる理由やサイエンスを通してこどもたちに伝えたいこと、未来への思いなどを丁寧に語っていただきました。穏やかな口調の中に見え隠れする、熱い思いが印象的でした。

人や自然との触れ合いが壁を乗り越えるきっかけに

――平井さんは現在ソニーでどんなお仕事をされているのですか?

例えば、企業のエントランスやショールームにあるような大型ディスプレイの開発に携わるエンジニアとして、普段は厚木テクノロジーセンターというところで働いています。とはいえ、国内外を飛び回っているのが実情です。開発の一例を挙げると、みなとみらいの資生堂グローバルイノベーションセンターに縦約5m、横約20mのディスプレイが設置されているのですが、これが携わっているディスプレイとしては世界で一番大きなものになると思います。再現性やコントラストの高い映像が映し出せるということで、デザイナーの方にも重宝されているんです。見る人の感動呼ぶ、心を動かすという点で非常にやりがいのある仕事です。

――もともと手を動かすことや何かをつくることが好きだったんですか?

私が小・中学生の頃に父親が地方気象台に務めていた影響もあり、天気のことや地球、宇宙に関することが大好きで、一人で地元(名古屋)の博物館にプラネタリウムを見に行ったり、『ニュートン』や『ブルーバックス』なんかの科学系の本や雑誌をひたすら読んでいました。今思うと、やっぱりこども時代のことがこの仕事のルーツになっているんだと感じます。

――平井さんは、モリウミアスとの出合いのきっかけが東日本大震災だったと伺っていますが、東北で震災を経験されたんでしょうか。

そうなんです。私は1999年から2011年まで、仙台のテクノロジーセンターで働いていました。2011年当時は出張で毎週厚木に通う生活を続けていた時期で、たまたま自分の本拠地である仙台に出社していた時に地震がきたんです。会社は多賀城市にあったのですが、人的被害こそなかったものの2mの高さまで津波が押し寄せ、社員の車は全て流されてしまいました。その日は家に帰れず、翌日に水が引いたのでなんとか帰宅したのですが、寒かったので実験の時に着る防護服のようなクリーンスーツを3枚重ね着して帰ったんです。

当時、下の娘がまだ幼稚園に入るか入らないかの頃でした。あとで妻に聞いたのですが、揺れがかなり大きかったことに加え、私が一晩大変な思いをして帰れなかったこと、さらに帰宅時の異様な格好も彼女にとって衝撃だったようで、震災以降海に近づけなくなってしまったんです。上の子はそんなことなかったのですが、下の子は車で海の側を通るだけでも泣き出してしまって、その状態がしばらく続きました。

――娘さんなりに、たくさん感じることがあったのでしょうね。

結局、震災後は仙台で業務を再開するのが厳しい状態で職場ごと厚木に転勤することになり、復興途上の仙台を離れるのは本当に忍びなかったです。そんな時に偶然社内のメールで、会社の有志が業務外で行う東日本大震災復興支援ボランティアバス(以下、ボラバス)があることを知って、思い切ってボラバスツアーに参加しました。今思えば、その偶然が必然だったんですよね。ボラバスで行った復興途上の被災地にこどもの姿をほとんど見かけないことに違和感を覚えて、このままでは将来を見通せない。なんとかできないかと考えるようになりました。

そのような中でお会いしたのが油井さんでした。「ソニーラーニングコミュニティ」というこれも社員の自主的な活動があるのですが、その勉強会で油井さんの講演があったのです。「こどもが集まることが地域の未来に繋がる」と話されていたのが自分の実地体験としてとても心に響いたので、2015年の9月に、オープンして間もないモリウミアスのプログラムに下の娘と参加しました。

雄勝の海岸線を走りながら娘なりに我慢していたんだと思いますが、モリウミアスに着くと部屋のトイレにこもってしくしく泣いていました。最初はずっと泣いていて、「連れてきたのがまずかったかな~」とも考えたのですが、2日間スタッフの皆さんや地元の方々、一緒に参加したこどもたちと自然の中で触れ合ううちに、苦手意識のようなものが徐々に薄れていったんでしょうね。帰りの新幹線でふとスケッチブックを取り出して、海の絵を描いて見せてくれたんです。「これ海じゃないの?」と聞くと、「モリウミアスから見た海がすごくきれいだった」って。それ以来海にも行けるようになりました。

1泊2日のわずかな時間でしたが、人と関わって、何より自然とダイレクトに関わって、おそらく彼女の中で何か大きな壁を乗り越えたんだと思うんです。その瞬間に立ち会えたことが親としてとても嬉しかったですし、自分にとってもモリウミアスに継続的に関わっていきたいと思った大きな出来事でした。

自然は学ぶべきテクノロジーの宝庫

――自然との触れ合いがこども、というより人にとって大事なものだと実感させられますね。それ以降モリウミアスとはどんな風に関わられているんですか?

今はボラバスの事務局リーダーとして、モリウミアスへのボラバスツアーを企画しています。娘と行ったすぐ後にモリウミアスへのツアーを初めて実施して以来、年2回のペースで約7回、240人ほどの社員をモリウミアスに連れて行きました。最近は親子でも参加できるようにしましたし、こどもたちの学び場づくりや地元の方々との交流を通して、大人も自分の人生を見つめ直すよい機会になっています。娘もお姉ちゃんや友達を誘って連れて行ったり、モリウミアスのことを学校の壁新聞に書いたりと立派な広報部員です(笑)。どちらかというと引っ込み思案だったのですが、主体性が出てきたり意思表示をするようになったのは、親として嬉しいことですね。

あとは昨年から、夏の1週間のスペシャルプログラムとして行う「サイエンスプログラム」に、エンジニアの一人として参加させていただいています。モリウミアスのスタッフの皆さんと事前に打ち合わせを重ねながら、去年は「音」に特化したプログラムを実施しました。自然の中って都会では聞こえないような音であふれているので、それをこどもたちに録音してもらって目覚まし時計の音にしたり。今年は触ったことのないものに触りまくってみようということで、「触覚」にフォーカスしました。

――サイエンスを通じて平井さんがこどもたちに伝えたいことは何ですか?

自然には、学ぶべき技術がたくさんあることをこどもたちには知ってほしいと思っています。地球の誕生を1年に例えると、人類の誕生は大晦日の23時57分だといわれているように、動物や昆虫、植物は人間なんかより遥か太古の昔からサステナブルに存在していて、本当に長い歴史の中で命が繋がってきています。

例えば「モスアイ構造」などといいますが、蛾の目(モスアイ)って、高度に光を反射しない構造になっていて、それは1mmの1万分の1という微細な凹凸が蛾の目に付いているからなんです。もし目に光が当たってキラリと反射したら、獲物に見つかって食べられる危険性があるので、種を残すという意味で蛾にとって致命的です。だから、長い時間をかけて目が進化したのです。実は私が携わっているディスプレイ業界でも、反射をできるだけ抑えるために、モスアイの構造を真似てつくったフィルムを貼ることがあります。そういう技術ってほかにもたくさんあって、実は自然の中にこそ学ぶべきテクノロジーってたくさんあるんですよね。

“職業”ではなく“生きる”ための選択肢を

――平井さんはお忙しい中でもご自身のお子さんのことをよく見てしっかり向き合っていらっしゃいますが、子育てにおいて意識されていることはありますか?

自分色に染めないということでしょうか。こどもは大人をよく観察しているので、親の思考や価値観に引っ張られることが多いと思うんです。それ自体は悪いことではありませんが、無意識に誘導しているかもしれないことは意識しておこうと思っています。こどもたちが将来どんな道を歩むかはこどもたち自身が決めればいいことで、私はそのための選択肢をできるだけたくさん用意してあげたいので、いろいろなところに連れて行って経験させるようにしています。

あと何十年かすると、今ある仕事の半分がなくなるといわれています。職業は減りますが、生き方は間違いなく今より多様化する中で、これからのこどもたちは職業というくくりで自分のキャリアを定義できない時代をおそらく生きることになります。娘の二分の一成人式の時にこどもたちの将来の夢を聞く機会があったのですが、衝撃だったのがほとんどのこどもが“職業”を答えていたことでした。必ずしも夢=職業である必要はないですし、例えば人に何かを伝えていきたい、人のために役立つことをしたいなど、もっと漠然としたことでいいと思うんです。むしろそのくらいの方がこれからは強く生きていける気がするので、そういう考えをもったこどもが増えるといいですね。

――そのためには何が必要ですか?

やっぱり大人はこどもたちに多くのことを体験させて、いかに選択肢の幅を広げてあげられるかに尽きると思います。職業の選択肢ではなく、“生き方を自ら広げて未来を創造していくための選択肢”を、です。雄勝には震災や地方というリアルがあって、そこに暮らす地域の方がいて、生活に溶け込んだ形で海や山、動物たちといった自然の美しさがあります。都会のこどもたちはモリウミアスに足を運ぶことで、それまで知らなかった世界に触れることになります。大人になればいずれ触れることができるのかもしれませんが、それをこどもの頃に経験するのとしないのとでは将来の選択肢が全く違ってくるはずです。

キャリア理論の一つに、プランドハプスタンスセオリー(計画された偶発性理論)と呼ばれる有名な理論があります。人のキャリアの8割は偶然で決まるので、よい偶然を引き寄せるために行動し、その偶然をキャリアのきっかけにする力をつけようということなのですが、まさしくこどもたちにとってのこのよい偶然の一つが、私の娘にとってもそうであったように、モリウミアスで得られる生きるための選択肢なんだと思います。

――平井さんは、こどもたちの未来をどんな未来にしていきたいですか?

人の一生って限られた時間なので、その限られた時間を満喫したいしチャレンジもしたいですよね。なんでだろう、不思議だな、きれい、美味しいなど、多くの蓄積された経験や体験が生きていく上での選択肢に昇華して、大人になった時に自分らしいキャリアを自分でデザインしていける。そんな未来ならすごくワクワクすると思うし、きっとそういう時代になっていくんじゃないかな。今のこどもたちにとってその経験や体験を蓄積するのがまさしく今なので、自分もできる範囲で貢献したいですし、自分自身もそうありたいと思っています。10年後や20年後の社会がどうなっているのか、今からすごく楽しみですね。

平井基介(ひらいのりゆき)

愛知県名古屋市生まれ。1999年大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻卒業後、ソニー株式会社入社。仙台テクノロジーセンターで磁気テープや液晶ディスプレイ向け光学フィルムの商品開発を担当。2011年からは厚木テクノロジーセンターにて新規ディスプレイの研究開発に従事するエンジニア。社内有志でつくる東日本大震災復興支援ボランティアバス事務局。業務外では2017年より国家資格キャリアコンサルアントとして活動開始。特に若年層へのキャリア教育やキャリア決定過程に関する関心が高い。妻、13歳、12歳の2人の娘の4人家族。

撮影協力:ソニー株式会社
撮影/渡邉まり子 文/開洋美