日本におけるオーガニックコットン事業の先駆者として、1985年に株式会社アバンティを立ち上げ、サステナブルなものづくりを続ける社会起業家・渡邊智恵子さん。モリウミアスでは同社のオーガニックコットン寝具やリネンを使用。渡邊さんは事業の傍ら、オーガニックコットンを通じた社会貢献活動を行なうほか、「22世紀に残すもの」と題し、様々な分野で活躍する方々の思いに密着したインタビュー配信なども行なっています。そんな渡邊さんが見据える日本の未来とは。また、次世代を担うこどもたちに残したいものとはなんなのでしょうか。

自然の中から生きる原点を学ぶ

――渡邊さんは北海道斜里郡のご出身ですが、どんなこども時代を過ごされたんですか?

こどもの頃は身体も小さかったし痩せていて、何をするにもビリッケツでした。それもあって、人前で話せないほどシャイな性格だったんです。今じゃ考えられないでしょ(笑)。

小学校1年生の時に仲良くなりたい女の子がいたんだけど、話すのが恥ずかしいから蛙の卵を採りに行って、ボウルに入れてその子の家に持って行ったんです。自分では蛙が産んだばかりの卵って、透き通っていてすごくきれいだと思っていたので、その子も喜ぶと思ったんですね。でも、見せたとたん「気持ち悪い!」と叫んで家の中に入ってしまって、私はがっかりして泣きながら帰ったのを覚えています。自分ではきれいと思っても他の人は必ずしもそうは思わないってことと、蛙を媒介に仲良くなろうとしたのに失敗しちゃったなって。今でも蛙を見ると、その時のことを思い出します。

斜里はそんな風に川が身近にあるような、自然豊かなところでもありました。私は農家の生まれなので、畑に積もった雪やあぜ道にたなびくススキ、おたまじゃくしを捕まえたこと、こどもの頃に見た斜里の自然が自分の原点であり、原風景です。こどもが小さい頃に自然の中から得るものって、後々まですごく影響すると思いませんか?

――オーガニックコットン事業の傍らでこどもたちのための活動もされているのは、そうした渡邊さんの原体験や思いがあってこそなんですね。

小諸エコビレッジを拠点にした「わくわく のびのび えこども塾」では、こどもたちと一緒にオーガニックコットンの栽培や畑づくり・収穫、今は藁や木を使って家を手づくりしています。色々なことをやっていますが、すべては自然の中から衣・食・住の生きる原点を学ぶため。それをこどもたちが体験できる場にしていきたいのです。

都会では、ランドセルを背負った小学生がコンクリートの上を歩いて、一度も土に触れることなく高層マンションに入っていくでしょ。それを見て、これがその子たちにとっての原点なのかなぁと、少し切なくなりました。都会のこどもの多くは、自然の中で何が起こって、どんな変化があるのかを知らないで育つんだと思います。でも、自然と切り離された都会で生活するこどもたちであっても、小さいうちに自然から学べる場所があれば、その体験がこどもたちにとっての原点になり得るかもしれないと思うんです。

それは、モリウミアスの哲学ともすごく重なる部分だと思います。モリウミアスは、海と森のある自然環境の中でよりダイナミックに学べる場です。こどもにとって、感性を磨くためにも自然と触れあい、そこから何かを学びとることがいかに重要であるか、もっと多くの大人たち(親たち)に気づいてほしいですね。親がその価値を見出せていなければこどもに伝えられませんよね。モリウミアスはこどもだけではなく、きっと親御さんにとっての貴重な学びの場にもなるはずです。

こどもたちにきれいな地球を残すために

――オーガニックコットンについても伺いたいのですが、渡邊さんが徹底してオーガニックにこだわる理由はなんですか?

これを生業にしようと思ったのは、1991年にオーガニックコットンの生地の輸入をしようと、テキサスの綿農家に行った時です。オーガニックでないものは、殺虫剤や除草剤など大量の農薬を撒くので環境へのダメージや健康被害が大きいのに対して、オーガニックコットンは牛糞を有機肥料にして、殺虫剤の代わりに害虫の天敵になるてんとう虫を放し、畑が生きているんです。さらに摘み取った綿は農協に収めればすぐに収入になるのに、オーガニック農家は自分たちで販売してお客さんからお金を回収して初めて、収入を得る。これは大きなリスクです。草取りも家族総出で行います。大変だけど、「きれいな地球をこどもたちに残す」というスローガンのもと、彼らはブレずにやっていました。手の届く範囲、顔の見える関係、グレーな部分がいっさいない。これに勝るものはないと、その時思ったんです。

そしてそれを後押ししてくれたのが娘です。娘が生まれてからは、「きれいな地球をこどもに残す」という考えが、理性としてではなく身をもって、この子の孫の代もきれいな地球でなくてはいけないと、実感するようになりました。

――なるほど。国内でも綿農家を増やす活動をされています。

日本で綿の栽培を始めたのが20年ほど前ですが、日本における繊維の自給率は未だに限りなく0%に近いのですが、このことはあまり知られていません。だからこそ伝えていく必要があるし、この状況を何とかしなければいけません。農家の後継者不足による耕作放棄地もどんどん増えていますから、そこにぜひ綿を栽培してほしいと思っています。

――生産者の方は増えていますか?

特に3.11以降は、土地の有効活用をしてもらいたいことと繊維の自給率を少しでも上げるため、かなりの勢いで、南から北まで全国各地で綿の栽培をしていただいています。栽培した綿はうちが買い取って、製品にします。

2012年からスタートした「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」で昨年から取り組んでいるのが、南相馬での綿栽培です。風力発電にしようとしているその下に広大な土地が広がっているので、綿を植えています。羊毛製品をつくるため羊も飼い、雇用のための枠を整えて、この一帯を「風がつくる繊維の供給基地」にしたいと、20年プロジェクトぐらいで今考えています。そのためには、まだまだ元気でいなきゃいけません。ピンピンコロリっていう言葉がありますが、それではぬるくて私の場合はガンガンコロリ(笑)。そんなふうに生きていけたらいいなと思っています。

人としての「倫理観」をもつこと

――未来を担うこどもたちに持続可能な未来を残すために、大人ができることはどんなことでしょうか。

やっぱり、「自然が最大の先生」だっていうことを伝えてもらいたいかな。自然の変化がどんなふうにして起きているのか、その事実や原因を知ることはすごく大事だと思います。例えばモリウミアスは震災でいろんなことが変わりましたが、じゃあ10年前はどうだったのか、そうした中から「自然の力と、自然に生かされている人間」をみんなで考える。そんなことが学びの場としてあってもいいですよね。

――渡邊さんは「22世紀に残すもの」という活動の中で様々な方にインタビューされて、未来に残すべきものを皆さんと一緒に考えられていますが、渡邊さんご自身が22世紀に残したいものはなんですか?

そうですね。「倫理観」でしょうか。人として正しいことを行なうって、簡単なようで難しい。倫理観をきちんともたなければ戦争も、いじめも、いじめによる自殺もなくなりません。でも今は、人として何が正しいのか、人間が生きるための原理・原則を本当に教える場がないのかもしれないですね。学校でもなかなかそういうことは教えてくれません。

人は支え合って初めて社会が成り立つものだから、そうすると自分よりも支えてもらっている人のこと、さらにはその周りのことまで考えなければいけません。そこには必ず愛が必要なんだけど、そういう基本的なことが教えられていないからわからない人が多い。だからこそ、私が22世紀に残したいものは、「人としての倫理観」、そしてその根底には「愛」があること、それを伝えていきたいです。

渡邊智惠子
明治大学商学部卒業後、光学機器メーカーの日本代理店タスコジャパンに入社。英文経理、総務などを担当し、31歳で副社長に就任。1985年、子会社として設立したアバンティの代表取締役に就任。1990年に独立、オーガニックコットンの輸入を開始。1996年より自社ブランド「プリスティン」を展開し、服や寝具など200アイテム以上を全国の直営店やオンラインで販売している。また、ソーシャル事業部門として2009年に長野県小諸市に「小諸エコビレッジ」を開設。2010年NHK『プロフェッショナル ~仕事の流儀~』に取り上げられる。2011年「東北グランマの仕事づくり」、2012年「ふくしまオーガニックコットン」プロジェクトを立ち上げる。2009年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤ―」受賞。同年経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」選出。